先月(9/30)に徳間書店から発売された
片岡鶴太郎さんの自叙伝を読みました。
1954年に東京の日暮里に生まれて59年、来年還暦を迎える片岡鶴太郎さん。
お茶の間でも「つるちゃん」と呼ばれる人気者、テレビや映画でも、身近な芸能人として親しまれています。
「とても、器用な鶴太郎さん」「なんでも出来る器用な役者さん」というイメージですが、
先日お会いした印象は、器用なというより 純粋で透明な水晶のような印象でした。
ほほえみながら相手の目を真っ直ぐに見る・・・誠実なお人柄が伝わってくるようでした。
出版された本を読んでみて
新たな鶴太郎さんの奥深い一面が見えた気がした。
本の内容は、生まれ育った日暮里の幼少時代のエピソードから始まります。
父親の影響を受け、一緒に寄席に通い 落語を毎週のように聞き、有名な落語家の所作や話の内容など真剣に真似ていた。
そして学校では先生のモノマネで人気者になり、その頃から芸人になりたいと思うようになった。
母方の祖父は、絵師。
自身のルーツ、の伝言によって、
一番輝く道を見つけ出す凄いエネルギーと努力で自分の道を切り開く強さに惹かれました。
それは、モノマネの才能だけではなく、
「人の何倍も練習し、何回も何回も繰り返し練習した」その努力の末の結果だった、
という事がいくつかのエピソードの中から伺えます。
ボクシングの時も、絵を書く時も、役者の時も、どんな時も、人の何倍も練習した。
ちょうど鶴太郎さんが生まれた1954頃は、日本経済は飛躍的に成長した時代でした。
鶴太郎さんが小学生の頃東京オリンピックが開催され、
その後数年で日本は、GNP世界第2位に飛躍し、
第二次世界大戦直後の復興から20年あまりの急成長は
「東洋の奇跡Japanese miracle」と言われました。
この時代を行きた偉人達には、芯にガッツと太さがあるのでしょうか?
日暮里で過ごした鶴太郎さんの生きざまや、
自分を取り巻く環境や人々とのかかわりが、
鶴太郎さんの言葉で、とても優しい目線で書かれています。
透明で真っ直ぐな優しさを、もっている人なんだと思います。
来年 還暦という事ですが、多分これからも、
まだまだチャレンジし続け、
自分の中から湧き上ってくる何か情熱のような、
根本的なこだわりのようなものに動かされて
(鶴太郎さんは本文の中で「腹のムシ」と書いています)
どんどん鶴太郎さん自身が増殖して行くような気がします。
ずーと長生きして私達に七色の「片岡鶴太郎」を見せてくれるのではないでしょうか。
私達の仕事も、コツコツと丁寧に努力を重ねるしか結果を出す方法がない仕事です。
鶴太郎さんの「他人の何倍も努力する、繰り返し何度でも練習する」という言葉に感動します。
その姿勢があるからこそ、「人の心を揺り動かす 何かを、得られる」と改めて勉強になりました。
阿久津五代子
2013/10/28