1.自由に選択できることの奥深いメリット
結婚式の業界にいると、姓について、新郎新婦からいろいろな感想を頂く事がある。
また、私自身も苗字が何回か変わり、自身の経験から下記のように感じる。
現状の実例
(例1)結婚したかったが、自分(新婦)の苗字が変わる事がネックになり親や親族から反対されて、結婚に時間がかかってしまった。破断の危機もあった。自分の苗字は、珍しい苗字で、この苗字を残す事が、家族親族の悲願でもあった。
(例2)仕事をしていて、今の苗字で認識されているので、変更すると混乱する。また、以前に離婚して名前を戻したので、またか、と会社や取引先に思われてしまうかと思うと気が引ける。自分は年齢的にも子供を産まないので、この苗字のまま仕事をしたい。
(例3)結婚が無しになった。
最初は、新郎が新婦側の名前になる予定だったが、結婚準備途中で、親族や家族との意見が対立して、どちらの苗字になるかで、もめはじめてしまった。その結果、結婚を取りやめる事に。
(例4)新郎は新婦の苗字になる事で、了解していたが、結婚式当日謝辞で、親戚が声を上げ、途中で謝辞が中断した。その結果、気まずい雰囲気になり、その後の親戚づきあいができなくなった。
など、苗字をめぐる問題は根深い。
仮に選択できる法律が成立したとしても、ほとんど(99%以上)の夫婦は、結婚するとなると、何の抵抗もなく新郎側の苗字になることを受け入れて喜んで結婚するだろう。
しかし、僅かだが、事情があり問題を抱えてしまう人がいる。
その、わずかの人を助ける為、選択の自由があっても良い。
2.女性の精神的な自立、プロとしての仕事人の意識を高める為に
選択できるという、その自由があることで、様々な事が好転する。
たとえば、女子の精神的な自立。
例)女性は、生まれて名前を付ける時、親の一般的社会常識の概念から、「この子は、女の子だから、いずれ結婚して姓が変わる。
だから、姓が何であっても合う名前を付けよう、」と名前を選び始める。
いわゆる総画数などで名前を決める事はあまり意味がない。
対して、男性はどうか?
「この家にふさわしい名前にしよう、字面も、音も、総画も良い名前にしよう、」と生涯名乗れる前提で名前を付ける。
生まれた時から、どこかのだれかの名前に変わる事をイメージしながら生きるという女性の潜在意識は、どうしても、他力本願になってしまいがち。
私自身、娘と息子がいるが、名前の付ける時からそのことを意識していた。
私自身の経験から自分自身は責任を持って自分らしく生きていきたいと思っても、その都度名前が変わるたびに、自分って何だろうと自分の存在に軽さを認めてしまう。
このように、概念的に、女子が生まれた最初の段階から、もしからしたら、名前を変えないのではないか?というほんの少しの希望があったら、生まれた後の女子教育も教える側も教えられる側も、自覚をもってあるべき型で進める事ができるのではないか?
名前(特に苗字)は、生まれた時から、何度も何度も呼ばれる、無意識に反応するように当たり前に体にしみこむ。
名前によって性格も変わるといわれるように、名前はその人のアイデンティティを左右する存在だ。
また、自我意識にも影響を与える。
私は確信する。「大事な名前が、いつか、変わるのだ、どこかのだれかの苗字に。その事を意識しながら生きていくのと、そうでないのとでは、女性の自立や責任感に大きな差が出るだろうという」
もし、法律で選択が、認められたとしても、この制度を利用し別姓を名乗る夫婦はごくごく限られた数であると考える。
実際に子供が生まれた時、どうするべきか迷う事になると想定すると、今まで通り、大抵の妻は喜んで夫の姓になるに違いない。
わずかであっても、制度として、選択できる自由を結婚する夫婦に、与えられるということが、未来において、想像を超えたポジティブな効果に繋がると考える。
女性の婚姻率を上げ、女性の自立したアイデンティティを支え、プロとしての仕事意識を醸成する大きな役割になる。
名前とは、それほど、自身の人生観を左右するものである。
(名作、千と千尋の神隠し のテーマは、名前である。名前を奪われた人が、自分が何者でどこに向かいるのか、わからなくなる。名前を得た時、思い出した時、初めて自分の人生を自分の力で歩み出す)
女性を生かし、輝かせ、世の中をより良くしていく一つの策として、夫婦選択性別姓を認めてもらいたい。
※2021年7月21日発行「ブライダル産業新聞」掲載※